「無銘刀 本当の作者は。小松正宗の話」

『刀剣名物帳』の上巻、正宗の部の筆頭に「小松正宗」という短刀が挙げられています。

 

製作されたときから無銘(これを生(う)ぶ無銘という)で、長さは九寸七分半(29、3㎝)。名物帳の解説文は現代文になおすと「小松中納言利常公が正宗としてお買いになって、前田家お抱えの本阿弥光甫に見せたら、その通りですと答えた。それではと本阿弥本家に鑑定させたところ、延寿国資(えんじゅくにすけ)の作だといわれた。そこで鞘
を作り、小堀遠州に無銘とだけ書かせて再鑑定させた。すると今度は行光と鑑定した。さらに研ぎなおして鑑定させたら正宗となった」とあります。つまり本阿弥家の分家で正宗と鑑定された短刀が、本家では延寿、行光そして正宗と変わっていったというのです。たしかに地鉄と沸(にえ)の明るさは正宗の作風ですが、やや大振りで姿や中心(なかご=柄の部分)の形が異風です。

 

小松中納言は有名な加賀百万石の前田利家の4男で、同藩3代目の大名ですから、このよ
うなこともできますが、現代の一般人だったら延寿で決まってしまうでしょう。しかし延寿と正宗では評価額に雲泥の差があります。小松正宗の代付(評価額)は若狭正宗の1000枚についで700枚と、名物帳のなかで二番目に高いのです。大判1枚は10両ですから、7000両にもなります。もちろんテレビの何でも鑑定団と同じで、実際の価格ではありません。

 

それにしても延寿国資と鑑定された短刀が、系統のまったく異なる行光や正宗になると
いうのでは、安心して買うこともできません。(行光と正宗は師弟もしくは兄弟弟子なの
で、作風がよく似ていますから、鑑定が変わることは不思議ではありません)

 

小松正宗は現在は三島市の佐野美術館所蔵で、同館で開かれた「正宗展」の図録には「
正宗の求める思いの丈と、本阿弥家の鑑定の世界とを垣間見せてくれる」とあります。
 

『刀剣名物帳』は享保年間に、将軍吉宗の指示により、本阿弥家が作成したものといわ
れます。その本に先祖の鑑定がくつがえった事を堂々と書く、本阿弥家の刀剣に対する厳しい心構えと、鑑定が変わっても本阿弥家の権威はゆるがないとする自信には感服するばかりです。

 

最後に本阿弥家の名誉のために、鑑定のむずかしさを伝えるお話を一つ。明治37~8年こ
ろ、網屋刀剣会という鑑定勉強会に、鎌倉時代初期に作られた守家の太刀が出ました。当時、目利きとして自他ともに許した今泉六郎(獣医学博士)は、これを江戸時代の多々良長幸作と断定したのです。しかしこの太刀は本多家伝来の名刀で、後には重要文化財に指定されています。昔から大切に扱われてきた名刀は、研磨によって磨り減ることもなく、新刀のように健全なので、見間違ったのでした。岩崎家旧蔵で国宝になっている「光忠・光徳」の金象嵌の刀も、あまりに健全なので新刀ではないかと噂されたこともありました。