「刀の名前」

刀にはさまざまな名前があります。正宗、国広、虎徹。そして包丁正宗、山姥切国広、
蜂須賀虎徹などなど。

 

刀剣は基本的に作者の名前をもって呼びます。正宗が作ったから正宗。国広や虎徹の作
だから国広、虎徹。ですから同じ名前で呼ばれる刀剣は何本もあるのです。同じ人が作った、つまり親が同じですから、いわば兄弟刀です。それらの中で特に由緒や伝説がある刀剣には、特別の名前がつけられます。それを異名とか号といいます。また「刀剣名物帳」に記録された刀剣は「名物〇〇」と呼ばれることがあります。

 

享保2年(1717)に将軍吉宗の命で、本阿弥家が作成したという「刀剣名物帳」には、厚
藤四郎から乱れ藤四郎、さらに焼失の部の一期一振藤四郎まで、34本の藤四郎が記録されています。藤四郎はご存知のとおり鎌倉時代末期(今から700年ほど前)、京都の粟田口という所に住んでいた刀工の一人で、本名を吉光といいます。

 

短刀の名作をたくさん作りましたが、伝説で忠義の刀といわれ、正宗、義弘(江)となら
び「三作」と呼ばれ、大名は格式として一本は持っていなければ、といわれました。そのため前田藤四郎とか薬研藤四郎など異名(号)をもつ名刀が多いのです。

 

異名は持っていた人の名前をつけたもの(石田正宗、江雪左文字など)。形から付けられ
たもの(鯰尾藤四郎、包丁正宗など)。彫刻からつけられたもの(愛染国俊、大倶利伽羅
光など)、切れ味からつけられたもの(へし切り長谷部、燭台切光忠など)、伝説からつけ
られたもの(にっかり青江、浦島虎徹など)等さまざまです・このほかには評価価格からつけられた大般若長光や、拵(外装)からつけられた鶴丸国永などもあります。

 

武人は刀剣を武器としてだけではなく、権威や身分の象徴としても大切にしました。そ
れはいわゆる日本刀以前の、古墳時代の直刀から続いています。埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土して、国宝に指定された鉄剣は、先祖代々の名前と自分の功績を彫り、金がはめ込んであります。その鉄剣をお墓に入れたのです。

 

平家は小烏丸を家宝とし、源氏は髯切(鬼切)と膝丸(蜘蛛切)を伝家の宝刀にしました。
以来、室町の足利将軍家織田信長も、そして豊臣秀吉徳川将軍家も、名刀を伝えてきたのです。数百年の長いあいだ、日本人が守ってきた日本刀は世界に誇れる鉄の芸術です。